稲庭うどん:秋田県

稲庭うどん

稲庭うどんは、秋田県湯沢市で作られている手延べ製法の干しうどん。日本三大うどんの一つである。
 

稲庭うどんの特徴

ひやむぎより若干太く、薄く黄色がかった色をしている乾麺である。
食用植物油を使用せず打ち粉としてでん粉を使う点や、乾燥前につぶす事による平べったい形状が製造工程の特徴。
手延べ製法で作られた麺は気泡が入っており、中空になっているため、食感は滑らかである。
 

稲庭うどんの歴史

稲庭うどんについて記述のある『稲庭古今事蹟誌』によると、寛文年間(1661年から1672年)以前に
秋田藩稲庭村小沢集落(現:秋田県湯沢市稲庭町字小沢)の佐藤市兵衛によって始まったと伝えられている。現在約70社が製造している。
wiki稲庭うどんより


 

稲庭うどんの歴史と文化

受け継がれる技と心。歴代佐藤養助の歴史
稲庭干饂飩の原形が稲庭に伝わり、当家の宗家である稲庭(佐藤)吉左エ門によってその技術が受け継がれ、
研究と改良が重ねられ、製法が確立したのは寛文五年(1665年)と言われています。

秋田藩主佐竹侯の御用処となった干饂飩の技法は、吉左エ門家の一子相伝、門外不出。
しかし、親から子へ、子から孫へという一子相伝の技が絶える事を心配した吉左エ門によって、特別に二代目佐藤養助に伝授され、
当家の創業となるのです。それは万延元年(1860年)、江戸末期の頃でした。明治に入り、
宮内省より御買上げの栄を賜わる他、多くの賞を受賞しています。

明治時代の政治家、日本赤十字社事業の創始者。元老院議長、農商務相などを歴任。
東京都港区青山墓地に眠る。
そもそも当家のうどんが県内産の他の品々に先がけて御買上げの栄に浴したのは、当家三代目が、当時の元老院議長にして、
日本赤十字社の創始者である佐野常民氏と交流した事に始まります。そして、内国勧業博覧会に出品して以来、
宮内省御買上げの栄を賜わる事になるのです。以降、歴代の養助によって受け継がれたその技は、変らぬ本物の味を今へと伝えているのです。
佐藤養助商店稲庭うどんの歴史と文化より。
 

稲庭うどんのルーツ

中国にそのルーツがあるとされている稲庭うどん。秋田の雪深い山村。稲庭の地にいかにして伝えられたのであろう。
「うどん」の発祥はどこにあるのでしょう?

小麦粉で作るうどんの日本への渡来については、いくつかの説があります。
・奈良時代に中国から入ってきた唐菓子「こんとん」が原形だという説
・中国からの説麺(せつめん)を源流だとする説…など。

江戸時代の初期には大阪でうどん屋ができはじめ、そば屋も兼業して「うどんそば」を名乗り、大いに繁盛したといいます。

大阪を中心として西日本に定着したうどんが、どのようにして稲庭に伝えられたのでしょう?

嘉永年間の大火でそれ以前の文献が焼失してしまったため
はっきりとはわかっていませんが、いろいろな説が言われています。

・製法が素麺(そうめん)に似ている事から、三輪素麺の技術が北前船で日本海側の
由利本荘市に伝わり、雄物川を上った山村・稲庭にたどりついたという説
・稲庭が秋田と仙台を結ぶ街道筋にある事から、白石温麺の技術が伝わったという説
・秋田藩主・佐竹の殿様がお国替えで秋田入りした時に技術が持ち込まれたという説……など。
どの説が正しいのかは分かりませんが、
後に「稲庭干饂飩」へとつながっていった事だけは確かに言えます。
佐藤養助商店稲庭うどんの稲庭うどんのルーツより

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稲庭うどん 佐藤養助商店
〒012-0107 秋田県湯沢市稲庭町字稲庭229
0183-43-2226

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